白樺会 企画倶楽部「夢」 企画
「北海道民は、どこから来たのでしょう?白樺会編」Vol.1
注:今回取り上げた北海道民とは、概ね近世から近代にかけて、道外から移民、移住という形で北海道へ来られた先祖の方々を対象とし、お話を伺っています。
今まで、現在北海道にお住いの方々のルーツについて、様々なメディアで取り上げられてきました。
今回、企画倶楽部「夢」の企画で、日頃顔を合わせているような、より身近な、白樺会の中の皆様から、
「北海道民はどこから来たのでしょう?」というテーマで、わかる範囲で、下記5項目のアンケートにお答えいただきました。
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様々な理由で先祖の方々は、北海道に入植されたことと思います。
今回のこの企画で、その方々のご苦労の一端に少しでも触れることが出来れば、と思います。
また、上記のアンケートは、白樺会内で12名の方にご協力いただきました。
この場を借りて、お礼申し上げます。ありがとうございました。
Haさん
Taさん
- 明治28年
- 三重県津市大字岩田
- 空知郡岩見沢村
- 農業、酪農
Naさん
- 石川県能登輪島市
- 大正初期
- 札幌(現在のすすきの)
- 家具・宮大工(家の事情により兄弟(妹)で北海道に)
- 現在我が家は北海道に来て3代目。
その昔、平時忠(清盛の義弟で大納言)が罪を得て、能登にながされ、その子時国が名を姓とし、時国家を興した。代々大庄家を継ぎ、製塩、木材を業とした。上の時国、下の時国とあり、下の時国家が国の重要文化財となっている。Na家は、上の分家で、今もNa家として残っている。
- 1934年(昭和9年)
- 宮城県鳴子町
- 赤平市茂尻
- 炭鉱夫
- 昭和9年は、東北地方で食物が不作で、生活できなくなった為です。
Yaさん
- 1927年(昭和2年20歳の時)
- 富山県八尾町栃折(雪が深く、家は合掌作り)
- 深川市納内町(兄が先に入植していたので頼って入植)
- 農業(不作の時もあり、生活は大変だったようです)
- 9人兄弟の末っ子の為、将来に不安を感じて、家出同然に実家を飛び出したようです。
Taさん
- 父方は明治40年頃
- 北陸・越前の方から(戦国時代は朝倉で3年前遺跡を見て来ました)
- 小樽
- 物を運ぶのに必要なリヤカーを作っていました。車がまだ沢山なく、道内の農協に送っていました。
- その頃は、小樽は港で良く貿易で賑わっていたと聞きました。私が覚えているのでも、銀行の数がとても沢山ありました。忙しい時は、時間に関係なく働き、何人もの子弟を雇っていたと聞いています。
Inさん
- 大正元年頃
- 福島県会津若松井上村(17戸全て井上姓)
- 網走市豊郷
- 熊笹を開墾し、農家をしていました。
- 熊との戦い話をよく聞かされました。
Saさん
- よくわからないが、100年くらい前
- 父方は、佐渡島、母方は長野県
- 父方は小樽、母方は旭川
- 父方は土木関係の会社経営、母方は農家
Isさん
- 夫の父方の高祖父母(4代前)
- 明治の初め頃
- 不明
- 今の釧路市音別町尺別に入植
- 酪農業
- 高祖父母の長男が札幌農学校の学生で新渡戸稲造と同級生だった。新渡戸稲造が家に遊びに来て、赤ん坊だった妹(これが夫の曾祖母)を抱っこしてくれた時、妹がおしっこを漏らして大騒ぎになったそうです。
- 私の父方の祖父母(2代前)
- 昭和の初め
- 青森県下北半島の漁村
- 興部
- 町役場に勤務
- 若かった祖父が新天地を求めて当時のポンポン蒸気船に乗って津軽海峡を渡り、先に北海道上陸、恋人だった祖母がその後を追って、駆け落ち婚したとのこと。
- 私の母の父方の高祖父(4代前)
- 明治の初め
- 石川県加賀市
- 松前
- 北前船の船主の息子で、松前に出した店を任された。
- 商売をしながら、加賀と松前を行ったり来たりしていました。加賀にも所帯を持っていましたが、当時は国許と、出先に別の所帯を持つのが普通で、両方とも正妻と認められていたそうです。私は、北海道妻の方の子孫ということになります。
- 私の母の父方の高祖父の父(何というのでしょうか?5代前です)
- 安政3年頃
- 秋田
- 松前
- 秋田藩から出向して、松前藩の藩医として着任
- 代々伝わる秘薬である丸薬の作り方があり、それを数え歌?のようにして覚えていたそうです。私の祖父の代までは覚えていて歌えたそう。書き留めておけばよかった!!
- 私の母の母方の曽祖父(4代前)
- 明治元年
- 青森か岩手
- 江差か松前
- 南部藩の下級武士で、函館戦争で戦った生き残り。下賜金をもらって、商売を始めた。
Maさん
- 明治10~20年ごろ
- 佐渡郡相川町大字2丁目18番地
- 小樽市
- 表具師
- おそらく、1600年~1700年に現在の山梨県より、金山で栄え、 佐渡の中心部だった相川町で表具師として生計を立て、金山の衰退に伴い、小樽に移住してきたと思われます。
私の祖父までは、表具師でしたが、おそらくこの職では先の見通しが立たない思い、私の父と弟達はサラリーマンとなり、祖父、父から昔の話を聞くことはありませんでした。
Moさん
- 大正2年6月13日
- 石川県羽咋(はくい)郡河合谷村太田八十八番地
- 上川郡上名寄村
- 農業を営み、祖父が後に鉄道関係の仕事に就いたらしい。
- 戸主の生糸商品とりひきのつまずきで移住したらしい。
Kiさん
- 昭和25、6年頃両親が北海道に来ました。
- 両親共、神戸から移住しました。
- 現在の札幌市中央区北4条東2丁目
- 母方の親戚が食品の卸をしていたので、その業務をしていました。
- 移住した当時は「北海道は未知の所なので、不安があった」と聞いていました。食事も関西の味付けと違ったので、違和感があったそうです。
今回、初めての企画でしたが、皆さん、快くアンケートにお答えいただき、ありがとうございました。
ご記入いただいた内容を拝見し、まるで、歴史ドラマのような風景が頭の中をめぐりました。
その中で、先祖が、石川県、佐渡から来られた方が多く、次いで、秋田、岩手、宮城の東北、そして、長野、富山の北陸甲信越からの方たちでした。
また、先祖について、調べられた方も多く、新渡戸稲造やドラマチックなエピソードまで伝わっていることは、驚きでした。
今回は、その前から住まわれているアイヌの方たちの歴史に触れることはできませんでしたが、はるか昔、様々な理由で、内地から新天地を求めた、祖先の方々の苦労や努力の上に、今があることを改めて実感いたしました。
今後の展開は未定ですが、まだまだ身近な皆さんの中に、ご苦労を重ねた先祖の皆様の情報や、逸話等お持ちの方がいらっしゃるのでは、と思います。
次の世代へ、そういうお話を引き継ぐためにも、この白樺会という狭い範囲内の企画ではありますが、情報をお寄せいただければと思います。
白樺会 企画倶楽部「夢」では、今後も様々な企画を、ホームページ掲載を軸として、展開していこうと思っております。
令和4年1月 白樺会 企画倶楽部「夢」